このページは、現在すたれつつある8mmフィルムやその機材、および製作技術を後世にまで残すべく立ち上げた記録媒体です


by 宮澤英夫
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PFFに観に行ってきました

 PFFとは、「ぴあフィルムフェスティバル」の略称で、情報誌で名高いあの「ぴあ」が映像製作を強く志向するアマチュアを拾い上げるため、毎年独自にアマチュア作品を募集しコンペティションと受賞作を上映したりする歴史あるイベントです。
 いちおう日本最大の自主映画イベントでして、私も応募したことはありますがイベントそのものに参加したことはなく、このたび福岡でも上映が行われるので様子見半分で行って参りました。
 できれば会場の雰囲気を伝えるためフロアーの画像だけでも載せたかったのですが、会場が公共の施設でもありPFFだと権利関係も絡んでくると思いまして、一応確認をしたらやっぱりNGで、ちょっと残念です。
 私が見たのはワンプログラムのみ、上映タイトルは庭月野議啓監督の「イチゴジャム」、廣原暁監督の「世界グッドモーニング!!」という二作品でした。
 個々の作品を本格的に評するとなれば一本につき「宮澤英夫マガジン」一回ぐらいの物量になってしまうのでそれは割愛して、今回観たのとパンフの解説と雰囲気から察して総見をちょこっと著わします。
 まず総じて主体が見えない、いえ主人公という存在は現前しているのだから主体がないわけではないのですが、主人公を取り巻く周りの人間に、創作物として想定すべき脇役なりの主体がまず見当たらす、それでは主人公の主体といえば、受容体としての主体、つまり主体の個が表出されていず世界とは隔絶して世界の中心に存在し、その世界をつぶさに確認する「観察者」の役回りしか帯びていないのです。
 こう書くと、私のブログ総体を見てくださる方なら何かと同じ言い方をしているな、と思われるでしょう。それはもちろん私がライトノベルを評する際の常套句です。でもこんな露骨な言い方をするのは初めてですかね。
 そしてさし当たって、尺内での観察を終えた主人公が総括として表明するのは、「物語が始まる前と同じ、世の中は自分と違う」という嘆きくらいだけです。「涼宮ハルヒの憂鬱」のキョンも徹頭徹尾観察者のように見えますが、少なくとも一作目ではキョンはその観察結果に基づき、最後の最後ですべて引っ繰り返すレベルの行動を示すことで総括したのです。まあこちらはSF入ってますが。
 そういったカタルシスを含む構成を商業的と揶揄する先達、そして自主製作という形を言い訳にして構成の練り込みを怠る若い作家の思惑が相まって、今日日の表現者制作者は日本語をベースにした表現活動の限界を自ら設定しているように見えてなりません。
 そして何より、主人公当人及びその周囲の人間が、主体的行動を是とせずまたそう志向しないのが、あえて挙げられる不満です。
 しかし不満ばかりではありませんでした。やはり昔の自主製作とは様相が変わり、とりあえず観るのに金を払っても失望はしないレベルまでのアドバンスが確認できたことは一つの収穫でした。
 ただやはり、そこまで出来るならもう少し作家自身が自らの欲望、要請に基づいて劇作に際し突き抜けたものを見せて欲しいところです。といって別に今保持している文脈を無理やり変える必要はありません、むしろそういう転向を押し付けるのは酷ですから。
 あと「映像と言葉」というトピックについて言及しようと思ったのですが、もう夜討ち朝駆けヘロヘロ状態なので割愛、機会があれば別記します。

 PFFでの限定的な所感を著わすつもりが、表現界総体への苦言にもなってしまいました。やっぱり西崎義展氏が亡くなられ、「宮澤英夫活用研究」で取り上げた際に頭に火がついたからでしょう。

 前記のブログと同じく、こちらでも書くべきトピックが脳内保管庫に山積みですが、ぼちぼち時間を見つけて消化します。今しばらくお待ちください。

宮澤英夫


by 8mmhozon | 2010-11-08 02:19 | 自主製作映画論評